受け容れ、委ね、満たされることには、どんな意味がある?
~対話シリーズ「Spiritual Healthを探求しよう」
現代日本を生きる私たちにとっての「魂の健康」を考える
「健康診断」とは、身体の状況を検査し、病気がないか確認するものと考えられてきました。それは「健康=身体的に病気でない」という概念が一般的だったからです。近年、そこにメンタルヘルス(精神的な健康)も重視されるようになってきました。
では、身体に病気がなく、精神も病んでいなければ「健康」なのでしょうか。もし心身が病んでいなくても、孤立し、自分の担う役割が見つけられなかったら、毎日を活き活きと生活できない可能性が高くなります。社会性も健康の重要な要素なのです。そこで、WHOでは「健康」を、身体、精神、社会性が良い状態にあることと定義しています。
ただ、「健康」には、もっと奥深いものがあるようにも思われます。
例えば、病気もなく会社でバリバリ働いている人も感じることがある「なんとなくの虚しさ」、愛する人を突然失った後に長く残る喪失感。また、美しい風景や素晴らしい音楽にふれた時に生まれるエネルギー、自然や祈りの時間が与えてくれる癒し。それらは、目にも見えず、外から評価もしづらいのですが、私たちの「健康」に影響を与えていると思われます。
これから希望、生きる意味、癒し、内なる平安などは「Spiritual Health(魂の健康)」と呼ばれており、魂、身体、精神、社会性は相互に影響を与えあうことで「健康」を実現しているという考え方も広がりつつあります。魂とは何か、また魂が心身にどう影響を与えるかは科学的に明確にはなっていません。しかし、未だよくわからないことに、何か大切なことが残っている可能性は大いにあるでしょう。
特に、現代の日本を考えると、モノもサービスも溢れ、豊かな暮らしのはずなのに、どこか満たされていない状況や生きがいを求める人が少なくない状況、詐欺や猟奇的な事件などが多発する状況など、目には見えず、評価もできないが生きるうえで大切なことを考えることは大切なことです。また、がんなどを患った際に終末期をどう過ごすのがいいのか、東日本大震災など災害に感じる無力感にどう向き合えばいいのかなど、生や死と向き合うことが必要な場面も増えています。
これからの時代の生き方を考えるために、従来の医療介護観に縛られない新しい制度を生み出すために、「魂の健康とは何か?」という正解のない問いを、対話を通して共に考えてみませんか?
(注)
1998年、WHO憲章における「健康」の定義の更新が議論されました。「完全に肉体的、精神的及び社会的に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」という定義を、「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、Spiritual及び社会的(social)に良好さの動的(Dynamic)な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」に改めようという提案が出されました。この提案は1999年の総会で、継続的に議論することになり、改訂には至りませんでしたが、ここで注目されたのが、「Spiritual」と「Dynamic」の2つの新しく追加を検討された言葉でした。
Dynamicとは、健康と疾病が完全に二分するものではないこと、さらに各要素は個別でなく、お互いに影響しあっていることを意味するものと考えられます。
Spiritualは「魂の、霊的な」と訳されますが、単に宗教的な意味だけでなく、人の存在や尊厳、心の平安を示しているものと考えられます。
アメリカの家庭医学会「familydoctor.org」では、Spiritualityを「人生における意味、希望、癒し、内なる平和を見つける方法」とし、宗教で見出す人もいれば、音楽や芸術、自然とのつながりに、また価値観や行動原理に見出す人もいると説明しています。そして、Spiritualityと健康の関係は完全に証明されていないが、健康に影響を与える示唆は多くあり、予防や病気・ストレス・死などに向き合うのに役立つとしています。
第1夜「 Spiritual Health は必要なの? ~臨床宗教師の仕事から考えよう」
2017年6月21日(水)19:00~22:00
健康を考える時、身体や精神だけでなく、社会的な健康を、そして、Spiritual Health(魂の健康)を考える必要があるのでしょうか?
それを考える一つのきっかけとなるのが「臨床宗教師」という仕事です。
「臨床宗教師」は、病院や被災地などで、苦難や悲嘆を抱える方々に寄り添う仕事として「臨床宗教師」が注目され始めています。臨床宗教師は、宗教者としての経験を活かし、相手に寄り添って心の奥にある痛みや思いを傾聴し、自ら痛みを和らげるのを助ける活動です。仏教、キリスト教、新道など多様な宗教家が協力し、布教や伝道は行いません。
米国では病院や軍隊などにチャプレンと呼ばれる宗教家が「Spiritual pain」の専門家として働いていますが、日本でもホスピスや被災地に同様の役割が必要だという考え方から始まりましたが、日本では臨床宗教師の仕事への理解、臨床での活用は、まだ限られています。
臨床宗教師は、どのような仕事をしていて、これまでの医療や健康観に何を問いかけているのでしょうか?
健康の概念のこれまでと現在と、臨床宗教師の仕事を知ったうえで、これまで忘れられがちだったが、これから大切になることを考え、そこから「Spiritual Health」について考えていきたいと思います。
.
この対話では、「健康」を多くの市民が考える大切さに取り組んでこられた中山和弘先生(聖路加国際大学大学院看護学研究科)から、「健康」の概念の変化は、どうして必要になってきたのか、既存の健康を促進する取り組みで忘れられがちなことは何かをお話しいただきます。
そして、臨床宗教師として活動されている玉置妙憂さんをゲストに招き、臨床宗教師の仕事について学んだ上で、玉置さんんはなぜ志し、仕事を通して何に気づいたのか、そこから臨床宗教師の扱う「Spiritual」の意味や可能性についてどのようにお考えなのか、お話しいただきます。
お2人のスピーチをもとに、「これから健康な人が増えるために必要な新しい領域は何か?」「Spiritual Healthは、なぜ大切か」を考えたいと思います。
まだ分からないことの方が多く、正解のない、「Spiritual Pain」や「Spiritual Health」、魂へのケアが人生や健康にもたらす意味を、ともに考えませんか?
第2夜「 明日を生きるためのSpiritual Healthを考えよう」
2017年7月5日(水)19:00~22:00
忙しくしている毎日の中で、ふと虚しさを感じたり、自然の中の時間がほしくなったりすることがあります。魂へのケアが必要なのは、死期が近づいた時や災害などで悲嘆に陥った時だけではなく、私たちの日常の暮らしにも必要です。
「健康な暮らし」には、緑の公園や芸術、レジャーが不可欠だと思うのは、単に疾病予防やメンタルヘルス、社交の場という意味だけでなく、そこに魂の安らぎや充実感が必要だからでもあるでしょう。また、ちょっとした親切や感謝の言葉、祈りの時間に、魂が慰められる時もああります。
しかし、私たちは合理性を重視するゆえに、自然や芸術、温かな人のふれあいなど「魂へのケア」を軽んじてしまいがちです。それが、気づかぬうちに、心身の健康を蝕んでしまうこともあるのではないでしょうか。
この対話では、参加者の経験やそれぞれの考えを持ち寄り、日々を健康に生きる上で、形や言葉にしづらい「Spiritual Pain」「魂へのケア」とはどのようなものか、どのような意味があるのか考えます。そのうえで、「魂の健康」を考えることで、生活や仕事がどう変わるか、医療や介護はどのように変化しうるのか、みなさんと考えたいと思います。
自分の健康、地域の人たちの健康に新しい視点を持ち込み、生きていることをもっと大切にするきっかけに、「魂の健康」とは何か、ともに考えてみませんか?
第3日「 魂の健康づくりとは? 自分らしい実践法を考えよう」
2017年7月22日(土)14:00~17:30
これまで、「健康づくり」というと、ランニングや食事など身体へのケア、ストレス解消や脳トレなど精神的なケアが中心でした。ただし、健康にとって、身体、精神とともに、社会性や魂も大切な要素であるならば、「健康づくり」には、居場所や出番をつくる社会的な健康づくりや、安らぎ・希望を育むといった魂の健康づくりも必要になるでしょう。
ただ、心身の健康づくりには方法論がありますが、特に、魂へのケア、魂の健康づくりは、一人ひとりの存在に関わるものであるがゆえに、方法論として一般化することは難しいでしょう。
アメリカの家庭医学会「familydoctor.org」では、Spiritualityを「人生における意味、希望、癒し、内なる平和を見つける方法」とし、宗教で見出す人もいれば、音楽や芸術、自然とのつながりに、また価値観やプリンシプル(行動原理)に見出す人もいると説明しています。一人ひとりが、自分にとって“大切な時間”をつくることが、魂をケアすることにつながるのでしょう。
この対話では、「魂の健康」を社会に広げていくために、魂のケアには、どのような実践法があるのか、みなさんの一人ひとりの経験を持ち寄って考えてみたいと思います。
これまでの対話を踏まえて、参加者それぞれのみなさんが日常生活の中で「魂へのケア」になっていると思うことを出し合います。それについて話し合ったり、他の人の行っていることを体験してみたりしたうえで、「魂の健康」を社会に広げていくには、何が大切なのか、どのような実践が可能なのか、考えたいと思います。